昔、あるところに美しい娘がいた。その娘の名は織女。天帝の娘であるとも、天に仕える巫女のひとりであったともいう。娘の仕事は、機を織ることだった。それはたぶん、運命の機織りという役割だったのかも知れない。
そして、牛飼いの若者、牽牛が娘にひとめ惚れする。牽牛の飼っている牛は、犠牲獣として神(天)に捧げられる牛。牽牛は織女に結婚を申し込む。すると天帝は、牽牛が婿にふさわしいかどうかを試そうと、瓜を差し出してこう言う。「この瓜が切れるか?」
牽牛は、簡単だと言い、瓜を2つに切る。すると・・・瓜の中からおびだだしい水が溢れだし、それはみるみる大河になってしまうのである。
その大河とはもちろん天の川。射手座付近から鷲座、白鳥座、そして天頂近くを通って流れていく星の河・・・。その天の河で天は2つに隔てられ、2人は離れ離れになる。
牽牛と織女の悲恋物語が広まったのは、漢の時代に入ってからのこと。ましてや7月7日だけ2人の逢瀬が許されるというエピソードは、かなり後の時代になってから付け加えられたものである。
古い言い伝えでは、牽牛が瓜を切り、それが天の川となる、というモチーフ。さて、瓜を切るとはどういうことなのだろう。そして、なぜ2人は離れ離れの悲恋物語の主人公になったのか・・・。
古代中国では、天空を28宿に分けて、星を観測したり、暦の基準にしていた。28宿とは、全天の明るい恒星を目印として天空を28の宿に分ける考え方である。この起源は、古代インドだと言われている。28宿となるのは、月が全天を1周する約28日を基準としているため。
が、月が全天を1周するのは、27日よりは長く、28日よりは短い。だから28宿で太陰暦を作ると、暦がしだいに狂ってくるのである。実際の月の運行と合わなくなってくるわけだ。しょうがないので、1宿を抜いて27宿とする場合がある。27宿とする場合、牛宿と呼ばれる宿を抜く。
さて、この牛宿は、山羊座のβ星を基準とした宿。つまり山羊座のあたりが牛宿。そして古代中国では、この牛宿こそが牽牛と呼ばれていた。
が、山羊座付近は、ご存じのとおりに明るい星が少ない。非常に見つけづらい。で、古代の人々は、もっと目立つ星を目印にした。それがアルタイル(牽牛星)なのである。
つまり、牽牛星(アルタイル)が牽いている牛が牛宿(山羊座)というわけだ。それでは牽牛じゃなく、牽山羊でしょ、と思われる方もいるでしょう。ここでいう牛とか山羊は犠牲獣を意味しているので、山羊だったり、羊だったり、牛だったり、はたまた馬だったりしてもOKなのだ。
(古代バビロニアでも、アルタイルを山羊座を代表する星としていたらしい。)
まあとにかく、牽牛星(アルタイル)っていうのは、犠牲獣である牛宿を見つけるための目印の星だった、と考えてください。で、この牽牛及び牛宿は、古代中国ではすごく大切な役目を果たしていた。前450年頃、この牛宿に太陽がやってくる時が冬至だったからだ。冬至。北半球では、太陽が最も低くなり、そして日照時間が最も少なくなる日。古代中国では、冬至を示すのが牽牛、そして牛宿だったのである。
また、牛宿のとなりにあるのが女宿。これは、須女とも呼ばれる織女星を目印として見つけることができる。ただし、古代インド方式の28宿では、牛宿の目印は織女星を使う場合がある。
織女星(ベガ)と牽牛星(アルタイル)、この2つの星は実際、とても目立つ星であり、共に牛宿の目印に使われた、ということである。
さて、牛宿、牽牛は、冬至を知るための大切な星宿だった。北斗七星を信仰していた古代中国人にとって、冬至は極めて重要な意味を持っていた。また、暦と対応させれば冬至は真北を意味する。
つまり、瓜を切るというのは、年という時の巡りの環が新しくなる切れ目をも意味するのではないだろうか。瓜とは時を内包する宇宙。その瓜を切って、古い年と新しい年という時の繋ぎ目を作る。その役割を任されたのが冬至を司る牽牛。その瓜の切れ目。時のほんの隙間から流れ出た天の水が、天空に光の河を生み出したのである。
・・・と考えれば、東洋の暦の境目は、冬至に違いない、と私は思う。冬至を司っていたのは牽牛。牽牛が瓜を切る役目をするのだから。立春新年説は、けっこう起源が新しいらしい。それよりも前の時代、太陽の影を計ることで季節を計り、北斗の巡りで時を読んでいた民族は、冬至を重要視していたのではないだろうか。
古代中国では、年の始まりを冬至としてみたり、小寒としてみたり、はたまた立春としてみたり、さまざまな説が唱えられているが、原点に返ってみれば、冬至説が最も信じられるような気がする。
織女の機織りとはいったい何であるのか。つまりそれは運命の機織りであると同時に、時を織る、すなわち暦を作ることなのだろう。そして牽牛は、時を区切り、新しい年を興すのである。
なぜ7月7日に2人が出会うことになったのか。それはもちろん、古代中国では奇数の重なりを重視していたためである。1月1日、3月3日、5月5日、そして7月7日、9月9日。3月3日は桃の節句だし、5月5日は端午の節句、9月9日は重陽の節句。そして七夕、7月7日。7という数は、古代中国においては、北斗七星を意味していたわけで、まさに星祭りの夜。
牽牛織女伝説もまた、暦の絡んだエピソードのひとつといえるだろう。
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