のんびりと 恒気法二十四節気考
◆ 定気法二十四節気 と 恒気法二十四節気
現代の二十四節気は太陽黄経を等分した「定気法」によっている。この歴史は日本においては1844年に施行された天保暦まで遡れる。それ以前は冬至から冬至までを時間で等分した「恒気法」が用いられてきた。恒気法二十四節気は農業暦としては殆ど完成の域に達しており、その歴史は遥かに長い。
◆ 暦 と 暦を用いた占い
ところで、世の中には暦を用いた「占い」なるものが、これまた古くから歴史を刻んで今日に至っている。この場合の占いとは、天の現象と地上の現象には関連性があるという照応論が前提となっている。古くは日蝕・月蝕の予測という科学的営みもまた「占い」であったし、宇宙・自然の現象を詳しく観測し、予測することが出来てのち、照応論に基づいて国や個人の命運もつまびらかに出来るというものであった。近代以前においては天文学者すなわち占術家でもあったのはこのためである。
それゆえ、暦を用いた占いは暦の精度が命であり、天の現象を如何に正確に「暦」という予測表に投影できるか、されているかは、占いの担い手が避けて通れない重大事であった。何故ならば、ある現象、例えば夏至の瞬間が数時間あるいは1日ズレたとすると、奇門遁甲などでは陽遁から陰遁への切り替わりを誤認してしまうし、四柱推命等でも、立春(正月寅)や啓蟄(卯月)に入る日時刻がズレれば、占い解釈以前のシンボル表…すなわち命式自体が変わってしまい、大きな判断ミスを誘発し兼ねないからである。
ここらで熱燗にしよう…
◆ 暦法改正 と 占い(主に四柱推命)
ここでは主に四柱推命と暦との関係に絞って論じることとする。
さて、周知の通り四柱推命(本来は子平・三命・命理などと呼ばれる)においては、太陰太陽暦(旧暦)施行下の時代にあっても、一貫として太陽暦の部分(二十四節気の節…十二支月境界)のみが用いられてきた。
(…「暦と運命への科学的アプローチ」ラッセル社 p.69)。
占術研究家にとって、恒気法が既与のものであった時代は長く、四柱推命(子平)の学的体系の殆どは、恒気法施行下で形成されたと言ってよい。
しかるに近代になり、西洋科学が東アジア地域にもたらされ急速に浸透していく中、本家中国においても暦改正(清代:時憲暦)が行われ、二十四節気のとり方が一変した。すなわち太陽黄経を等分した定気法二十四節気の登場である。日本においても天保暦から定気法へと切り替わった(現在に至る)。
日本に四柱推命が本格的に伝えられ、普及に途についたのはこの頃である。中国の恒気法時代の典籍が数多く紹介され、定気法の暦を用いながら学ばれていった。
(…「暦と運命への科学的アプローチ」ラッセル社《暦改正にともなう混乱》p.159)
かかる問題点の一つの解決法としては、まず、定気法に合わせた基礎理論修正を施したのち、デコード(占術的解釈)において定気法と恒気法との齟齬を補正するような細部調整をすれば良いように思える。
もしこの方法論を採用するなら、さしあたって 定気法二十四節気と恒気法二十四節気との比較を行うこと第一であろう。
もしかしたら、こうした試みは既に行われ、新しい理論はどこかで完成しているのかも知れない。筆者が無知にして知らないだけかもしれないと思う理由は、現在、占いに使われる市販の暦には、現行の定気法二十四節気のみの記載がもっぱらであり、恒気法を銘打ったものや、比較研究のための恒気法値の併記を殆ど見たことがないためである。
ここでは、これから探求しようという方のために便宜のために掲載することとする。
《比較表》 | 定気法 | 恒気法 | |||||||
12支月と節気 | 月 | 日 | 時 | 分 | 月 | 日 | 時 | 分 | |
丑月中 | 大寒 | 1 | 20 | 9 | 16 | 1 | 21 | 9 | 6 |
寅月中 | 雨水 | 2 | 18 | 23 | 27 | 2 | 20 | 19 | 34 |
卯月中 | 春分 | 3 | 20 | 22 | 31 | 3 | 23 | 6 | 3 |
辰月中 | 穀雨 | 4 | 20 | 9 | 36 | 4 | 22 | 16 | 31 |
巳月中 | 小満 | 5 | 21 | 8 | 44 | 5 | 23 | 3 | 0 |
午月中 | 夏至 | 6 | 21 | 16 | 38 | 6 | 22 | 13 | 29 |
未月中 | 大暑 | 7 | 23 | 3 | 27 | 7 | 22 | 23 | 57 |
申月中 | 処暑 | 8 | 23 | 10 | 28 | 8 | 22 | 10 | 26 |
酉月中 | 秋分 | 9 | 23 | 8 | 5 | 9 | 21 | 20 | 54 |
戌月中 | 霜降 | 10 | 23 | 17 | 25 | 10 | 22 | 7 | 23 |
亥月中 | 小雪 | 11 | 22 | 15 | 0 | 11 | 21 | 17 | 51 |
子月中 | 冬至 | 12 | 22 | 4 | 20 | 12 | 22 | 4 | 20 |
節や土用、他の年についてはこちらを参照されたい。
比較して考えてみよう…
◆ 恒気法二十四節気の利点
:その1:
恒気法二十四節気の利点の第一は、何といっても古来からの膨大な典籍の存在である。後述のように、天文的事実とのズレがあるにせよ、暦作成者はもとより、古来の「天文学者≒占術家」という図式を思い起こせば、典籍の著者たちはズレの問題に対して充分に自覚的であったろうし、そうでない人々=暦を既与のものと捉えていた研究家も含め、あくまでも当時の暦の援用テクノロジーとして学理を固めていっただろうと憶測されるからである。
となれば、恒気法時代の文献をそのまま実占に活用したい場合には、やはり恒気法二十四節気による暦を用いた方が良い可能性がある。特に、訓古学的な取り組みを重要視する人々には支持されやすい根拠であろう。
但し、恒気法二十四節気を用いた暦が多く流通し、入手可能なことが前提となる。
:その2:
旧暦作成法則が単純なため、旧暦作成が容易である(後述)。
但しこの場合の旧暦とは普段私たちが目にしている天保暦の延長ではなく、それ以前の、たとえば寛政暦の延長としての旧暦となる。当然ながら手帳のカレンダー等に記載されている旧暦日付・六曜(大安・仏滅…)・旧暦関連行事日程などには随所に差異が生じる。
なお、旧暦を作成しやすいことは1つの利点であって、優れているかどうかは別問題である。
:その3:
時差補正において均時差計算が不要となる。すなわち地方標準時との経度差のみで日時刻を補正し、補正した年月日時をダイレクトに用いることで、恒気法暦から四柱干支すべてを取得できる。
しかるに定気法では、均時差を出しおき、経度差による時差と合算して地方標準時を補正(真太陽時)し、これにより日時干支のみを補正対象とする。他方、年月干支は平均太陽時(ここでは地方標準時をそのまま用いる)から計算される太陽黄経から月支を特定してのち、年月干支の一体性により年月四字を明らかにする(もしくは定気法暦から読み取る)。
このように、現行の定気法二十四節気施行下では、四柱八字の取得にも恒気法暦を用いるよりも多くの留意点が生じている。とはいうものの、被占者への怠惰が許されない実占者の方々にとってはごく日常の準備手続きであろう。ただ、恒気法暦を用い、恒気法下の典籍を学んでダイレクトに活用して良い…という環境の方が、初学者・初心者には安心できる一面があるのではなかろうか。
◆ 恒気法二十四節気の問題点
日時計とその影の動きを思い出してみよう。冬至には一年で最も南中時の影が長くなり、夏至には最も短くなる。春分・秋分では冬至と夏至のピッタリ中間値となる。日時計の影は、天文的事実の1つの投影である。定気法による各点は日時計に見る幾何的事実と明確に対応している。
さて、恒気法二十四節気は冬至から次ぎの冬至までを時間で按分したものである。
周知の通り地球の公転軌道は楕円であるため公転速度は変化する。ここで冬至点をFIXして時間按分すると、他の点、例えば夏至として算出される日と日時計の現象がピッタリ一致しなくなる(上表)。
占いは照応論に基づいている。従って暦を用いた占いの前提として、自然に忠実…未来の天文現象をより正確に予測しようとする営みが最もプリミティブにあるはずで、暦と天文現象とのズレに対して多くの修正・補正の努力が試みられてきたことは想像に難くない。
そう、今でこそ、恒気法二十四節気と日時計の影のズレの観察は、小学生の理科の研究に格好な材料であるものの、占いが照応論に端を発している限り、宇宙自然の法則をより精密に捉え、天文現象を高精度に予測することは占いの担い手にとって基本中の基本であり、それを充分に踏まえた当時の占術研究家たちにとって、暦と実際の天文現象が既にしてズレていたことは、かなり頭の痛い問題だったに相違ない。
それがために、より妥当なデコード(占術的解釈)を目指して奮闘した彼らが、例外法則樹立に向けた創意工夫や試行錯誤に多くの時間を費やし、占術体系をより複雑なものにせざるを得なかったとしても、彼らを責めるにはあたるまい。
数多くの占術研究家たちによって連綿と続く歴史的営意に敬意を表する。
◆ 補足:旧暦(=太陰太陽暦)と 恒気法二十四節気
ここで日本における太陰太陽暦(俗に言う旧暦)に目を向けてみよう。江戸時代末期に、恒気法二十四節気を用いていた旧暦(寛政暦)から、定気法二十四節気を用いた旧暦(天保暦)へと改訂が行われた。この時、暦作成法則が不足することとなった。
太陰太陽暦では、一朔望月をひと月とし、二十四節気の「中」を以って月の名(八月とか九月とか)を定める。
恒気法では「中」から次ぎの「中」までが約30.4368日(一朔望月より長い)であり、「中」が含まれない朔望月を閏月としていたのだが、定気法を採用すると、一朔望月の中に「中」が2つ入るような事態が生じ、やむを得ず、新たな暦作成法則を追加せざるを得なくなった(詳しくは「暦と運命への科学的アプローチ」ラッセル社 p.65)。
しかしそれでも、2033年には、全法則を駆使しても月の名を定められない事態が生じることがわかっている(江戸時代の学者たちが21世紀までを完璧に調べきれなかっただけのことであろう)。定気法の厄介さがここにある(同書 p.66)。
但し、これを以って恒気法のほうが優れている、などという議論は成り立たない。天文的にすっきりしているのは定気法の方であり、暦作成手順や法則がいくら複雑になろうと、それこそが天文的事実に即したことだからだ。
つまり、旧暦を楽に作成できるということは、恒気法が暦として優れている根拠にはならないし、出来あがった旧暦の妥当性や正統性を高めもしない。
もし、どちらが正しいとか優れているとかを論ずるのであれば、比較のために恒気法下の旧暦を作成することが先決になる。
ご興味ある方は是非とも「天文・暦・占い資料館」の「恒気法二十四節気」と「朔」のデータを用いて寛政暦の延長を作成し、比較して論じていただきたい。