ムーンラボカフェ

筆者エッセイ

あの夢は…運命の激震

 2004年、中越地震。あの日、私は長岡にいた。長岡市営墓地で、夫の祖母の納骨。その後、夫の親戚の家でみんなが集まり、蕎麦を食べ終わった直後、あの地震が起こった。
 幸い、その地域では電気もガスも止まらなかった。携帯は不通になったが、固定電話は使用可能だった。
 
 私は嫁なので、夫の親戚側には遠慮がある。だから、前日から上越のホテルに宿泊、しばらく連泊する予定でホテルに荷物を置き、長岡まで出てきていた。が、事態が判明するにつれて、上越まで移動することは、少なくとも今夜は無理ということがわかった。
 果たして、「ホテルに帰るのは無理だから、今晩はうちに泊まりなさい。」と言っていただき、「お世話になります。」とありがたく頭を下げた。「何かあっても、みんなで居れば安心だから。」という言葉も心強かった。冬の積雪に耐えるため、通常よりも太い柱を使って建てたという家は、実際、頑丈だった。
 
 地震の次の日、通行止めの8号線を迂回、延々と渋滞の国道352号を柏崎へ。柏崎駅で夫のいとこ夫婦を電車に乗せた後、私は叔母(母の妹)に電話をした。
 叔母は泣き出しそうな声で言った。「なによ〜、どうしたのよ!心配したのに。」「ごめん。」
 今思えば、叔母には昨夜、安否を電話をしておくべきだったのだろう。とにかく叔母は、私のことが心配になり、私の父の家に電話をした。つまりは私の実家である。しかし、我が家の事情は複雑だ。私の母の死後、父は再婚したからだ。
 電話に出た父の再婚相手は、「かまわないでくださって結構です。」と言ったそうだ。どういうことかというと。前妻の娘は、自分たちとは無関係、だから煩わせないでくれ、と。まあ、それはいつものことなので、私は別に驚きもしなかったけれど。
 
 しかし叔母は私の父を気にかけていた。「お兄さん(私の父)は心配しているはずだから。すぐに電話して、無事だって知らせてあげなさい。」「…う〜ん。」「電話するのよ。いい?」「…う〜ん。」「今すぐに。わかった?わかったわね?しなさいよっ!」「あ〜。いやだけど。しかたない。…わかった…。」
 叔母には逆らえない。なぜなら私は、叔母と祖母に育ててもらったようなものなのだ。気が進まないながらも私は渋々電話をした。
 すると、父の再婚相手が電話に出てこう言った。「あなたになにかあると、迷惑するのはこちらです。」
 そう。いつだってそうなのだ。私がしばらく海外に行っていた時にも、車を買った時にも…。もちろん車は自分で稼いだお金で買い、渡航だって自分の責任でしている。保険だってちゃんとかけている。が、問題は、パスポートに記載する実家の住所や戸籍の本籍地。飛行機が落ちたり、海外で何かあったら、私の遺体の引取りには誰が行くのだ、という問題である。その交通費、手間。
 
 父の再婚相手は、他人である私に、無駄なお金は一切かけたくない。時間も取られたくない。父がそれに異を唱えると、再婚相手はすぐに離婚話を持ち出す。2人が喧嘩している声は、私にも聞こえていた。まあ、これ以上愚痴愚痴書いてもしかたないので詳細は書かないけれど。
 
 「ご心配なく。私はもう父の戸籍からは抜けています。私に何かあっても、連絡は行きません。そしてあなたとは同じ墓には入りません。」私はそう言って電話を切った。
 
 中越地震の10日間ぐらい前、私は夢を見た。
 櫓の上からいきなり落ちる夢。それはタロットカードのタワーのようなイメージだ。落ちながら、銀色の鱗の大蛇に左腕を噛まれ、絡みつかれる。でも、ノープロブレム、と夢の中で誰かに教えられる。私の体内で、蛇毒への抗体が即座に生成されたらしい。そして、櫓から落ちた私は、バランスをとって地上に降り立つ。蛇はいつの間にか消えていた。不思議な夢だった。
 
 あの日。突然の天災で、いろいろな意味で、運命が大きく変った人たちがいる。私に起こったことは、それらの多くの人たちに比べれば、たいしたことではない。それに、変ったのではなく、今までくすぶっていたことを再認識しただけ。
 でも、私にとっても、あの地震の日の出来事は、生涯、忘れることはないだろう。

秋月さやか

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