筆者エッセイ
動物は嘘をつく、もちろん人間も
私は、犬猫と一緒に暮らした日々が長い。動物好きか?と聞かれてもよくわからないけれど、犬、猫、馬・・・つまり、人間とコミュニケーションがとれる動物には関心がある。というか、動物がこちらに関心を向けてくるのがわかると、つい反応してしまうのである。
しかし、ペットは、躾けられてぺットになる。だって、彼らの遺伝子は、狼、山猫と同じ。ただ可愛い可愛い、だけで育てたら、それこそ、噛まれるわ、引掻かれるわ、他の人に吠え付くわ。ペットは野生動物ではない。だから飼い主の責任は重大。
ペットと野生動物の違いはどこにあるのか。それはコミュニケーション。躾けの悪い動物とは、人間の言う事を理解できない動物。躾は厳しいもの、と思っている人がいるかも知れないけれど、コミュニケーションには、厳しさも楽しさもあるわけで。だから、飼い主と一緒に遊ぶ楽しさを知らない動物を躾ることはできない、ということも、しっかりと書き添えておきたい。(ペットの躾に必要なのは、言葉と遊び道具!)
とにかく、ペットと飼い主との間の信頼関係こそが、狼を犬に、山猫を猫にする。つまり、動物が人間の言う事を理解した時に、ペットになる。もちろん、飼い主もペットの言いたいことを理解できた時に、飼い主になることができる。(お金を出してペットを買えば、誰でも飼い主になれる・・・わけではありません。)
犬猫、そして家畜は、人間が何千年もかけて築いてきた信頼関係の証として存在している。つまり、野生動物ではありません。
野生動物には野生動物のよさがあるとは思うけれど、(特別な事情がない限り)野生動物を無理矢理飼育するのは難しい。私はほとんどの動物園には行くことができない。信頼関係が欠落しているままに檻に入れられている動物たちを見るのは、痛ましくて、辛くって・・・。(注・旭川動物園みたいな取り組みであれば、安心して見ていられますけれど。)
さて、動物の話をすると、こう言うことを言う人がいる。「いいですよね、動物って正直で。嘘つかないから。」
「あはは、まさか〜!!!」と、私はたいてい、笑い出してしまう。だって、嘘をつかない動物(ペット)なんて、私は会ったことがないから。
「えっ?動物に嘘をつかれたって? それは動物に信頼されていないんじゃあ」と言われたこともある。そういうことを言う人って、まず間違いなく、動物嫌い。だから私は、「かもね」とかわし、話題を変えることにしている。
動物はね、嘘をつきますよ!!!
高校時代の友人で、動物園の獣医をしているTさんはこう言った。「頭の良い動物は、必ず嘘をつく。」
犬猫の飼育は飼い主とペットとの知恵比べ。しかし、それが楽しい部分でもある、と私は思うのだけど。「次にはいったい、どんな嘘をつくのだろう。何を考えているのか。」と、ワクワクしてくるから。
犬仲間の話。彼女の愛犬が、ある時、足をくじいた。
「○○ちゃん、かわいそ〜」と、家族みんなが優しくなった。
「足、痛いよね、大丈夫かな〜」と、かいがいしく面倒を見てくれる。悪いことをしても、あまり怒られない。食事もグレードUP。
愛犬、考えた。「足をひきずっている→飼い主、優しくなる。」なるほど、と納得。そのぐらいの相関関係はわかる。犬の知能は、だいたい人間の2〜3歳児ぐらいと言われているので。
そして、みんなが愛犬を気づかう日々が何日間か過ぎた。愛犬がくじいたのは左足。しかしある朝、愛犬は、右足をひきずっていたそうである。彼女は、愛犬の左足をガシッと掴んだ。「○○、こっちの足はどうしたのッ?!」
愛犬、その剣幕に驚き、同時に、自分の嘘がばれたことを悟った。そのまま犬小屋の中に隠れ、まる1日間、ずっと出てこなかったそうだ。
嘘には2方向ある。ひとつは保身や利己的な利益のために。そして、もうひとつは相手のために。動物の場合、たいていは前者。でも、後者の嘘をつける動物というのもいる。
祖母の実家は、代々続いている農家で、かつて馬がいた。農作業用馬。使役動物なのだが、農家にとって大事な働き手である馬との関係性は特別。馬小屋は風呂小屋の脇。それは、冬、暖かい場所だから。
明治終りの頃の話、祖母の祖父の具合が悪くなったという。ええと、私にとって曽々祖父。
曽々祖父は、激動の時代を生き抜いた人で、商売にも手を出し、一時はかなり羽振りがよかったという。しかし、突然の不況と不作、それに体調不良が重なった。家族はいきなり節約生活を強いられた。それでも、馬にはなるべく食べさせていたという。馬は、お腹がすくと、前足で床をトントンする。食事の催促。飼葉が足りない時にも、前足でトントンしてオカワリ要求。そしてお腹いっぱいになると、鼻で飼葉桶を脇にどける。これがゴチソウサマ。
とにかく、じいさまの具合が悪くなり、町での商売をたたまなくてはならないかも、という切迫した状況の中、馬がオカワリ要求をしなくなったという。すぐにゴチソウサマと、飼葉桶をどけてしまうようになった、と。体調でも悪いのかと思ったけれど、そうでもない。しかしそのうちに、そっと寝藁を食べていたことが判明した。よほど食べるものがない時、馬は寝藁を食べるのだが・・・。つまり、馬が「お腹なんてすいてないよ」と、嘘をついていた、というのだ。
嘘をつくというのは、相手とコミュニケーションが取れるからだ、とは思いませんか?相手を思いやり、相手のことを考える。嘘をつくには必ず理由があるのですが、その嘘の中に真実が見える時、それは嘘ではなくなるのかも知れません。檻の中に閉じ込められたままの動物は、たぶん、嘘をつきません。だって、コミュニケーションをとる必要などなく、だから嘘をつくことができないのです。
写真:筆者撮影
しかし、ペットは、躾けられてぺットになる。だって、彼らの遺伝子は、狼、山猫と同じ。ただ可愛い可愛い、だけで育てたら、それこそ、噛まれるわ、引掻かれるわ、他の人に吠え付くわ。ペットは野生動物ではない。だから飼い主の責任は重大。
ペットと野生動物の違いはどこにあるのか。それはコミュニケーション。躾けの悪い動物とは、人間の言う事を理解できない動物。躾は厳しいもの、と思っている人がいるかも知れないけれど、コミュニケーションには、厳しさも楽しさもあるわけで。だから、飼い主と一緒に遊ぶ楽しさを知らない動物を躾ることはできない、ということも、しっかりと書き添えておきたい。(ペットの躾に必要なのは、言葉と遊び道具!)
とにかく、ペットと飼い主との間の信頼関係こそが、狼を犬に、山猫を猫にする。つまり、動物が人間の言う事を理解した時に、ペットになる。もちろん、飼い主もペットの言いたいことを理解できた時に、飼い主になることができる。(お金を出してペットを買えば、誰でも飼い主になれる・・・わけではありません。)
犬猫、そして家畜は、人間が何千年もかけて築いてきた信頼関係の証として存在している。つまり、野生動物ではありません。
野生動物には野生動物のよさがあるとは思うけれど、(特別な事情がない限り)野生動物を無理矢理飼育するのは難しい。私はほとんどの動物園には行くことができない。信頼関係が欠落しているままに檻に入れられている動物たちを見るのは、痛ましくて、辛くって・・・。(注・旭川動物園みたいな取り組みであれば、安心して見ていられますけれど。)
さて、動物の話をすると、こう言うことを言う人がいる。「いいですよね、動物って正直で。嘘つかないから。」
「あはは、まさか〜!!!」と、私はたいてい、笑い出してしまう。だって、嘘をつかない動物(ペット)なんて、私は会ったことがないから。
「えっ?動物に嘘をつかれたって? それは動物に信頼されていないんじゃあ」と言われたこともある。そういうことを言う人って、まず間違いなく、動物嫌い。だから私は、「かもね」とかわし、話題を変えることにしている。
動物はね、嘘をつきますよ!!!
高校時代の友人で、動物園の獣医をしているTさんはこう言った。「頭の良い動物は、必ず嘘をつく。」
犬猫の飼育は飼い主とペットとの知恵比べ。しかし、それが楽しい部分でもある、と私は思うのだけど。「次にはいったい、どんな嘘をつくのだろう。何を考えているのか。」と、ワクワクしてくるから。
犬仲間の話。彼女の愛犬が、ある時、足をくじいた。
「○○ちゃん、かわいそ〜」と、家族みんなが優しくなった。
「足、痛いよね、大丈夫かな〜」と、かいがいしく面倒を見てくれる。悪いことをしても、あまり怒られない。食事もグレードUP。
愛犬、考えた。「足をひきずっている→飼い主、優しくなる。」なるほど、と納得。そのぐらいの相関関係はわかる。犬の知能は、だいたい人間の2〜3歳児ぐらいと言われているので。
そして、みんなが愛犬を気づかう日々が何日間か過ぎた。愛犬がくじいたのは左足。しかしある朝、愛犬は、右足をひきずっていたそうである。彼女は、愛犬の左足をガシッと掴んだ。「○○、こっちの足はどうしたのッ?!」
愛犬、その剣幕に驚き、同時に、自分の嘘がばれたことを悟った。そのまま犬小屋の中に隠れ、まる1日間、ずっと出てこなかったそうだ。
嘘には2方向ある。ひとつは保身や利己的な利益のために。そして、もうひとつは相手のために。動物の場合、たいていは前者。でも、後者の嘘をつける動物というのもいる。
祖母の実家は、代々続いている農家で、かつて馬がいた。農作業用馬。使役動物なのだが、農家にとって大事な働き手である馬との関係性は特別。馬小屋は風呂小屋の脇。それは、冬、暖かい場所だから。
明治終りの頃の話、祖母の祖父の具合が悪くなったという。ええと、私にとって曽々祖父。
曽々祖父は、激動の時代を生き抜いた人で、商売にも手を出し、一時はかなり羽振りがよかったという。しかし、突然の不況と不作、それに体調不良が重なった。家族はいきなり節約生活を強いられた。それでも、馬にはなるべく食べさせていたという。馬は、お腹がすくと、前足で床をトントンする。食事の催促。飼葉が足りない時にも、前足でトントンしてオカワリ要求。そしてお腹いっぱいになると、鼻で飼葉桶を脇にどける。これがゴチソウサマ。
とにかく、じいさまの具合が悪くなり、町での商売をたたまなくてはならないかも、という切迫した状況の中、馬がオカワリ要求をしなくなったという。すぐにゴチソウサマと、飼葉桶をどけてしまうようになった、と。体調でも悪いのかと思ったけれど、そうでもない。しかしそのうちに、そっと寝藁を食べていたことが判明した。よほど食べるものがない時、馬は寝藁を食べるのだが・・・。つまり、馬が「お腹なんてすいてないよ」と、嘘をついていた、というのだ。
嘘をつくというのは、相手とコミュニケーションが取れるからだ、とは思いませんか?相手を思いやり、相手のことを考える。嘘をつくには必ず理由があるのですが、その嘘の中に真実が見える時、それは嘘ではなくなるのかも知れません。檻の中に閉じ込められたままの動物は、たぶん、嘘をつきません。だって、コミュニケーションをとる必要などなく、だから嘘をつくことができないのです。
秋月さやか
写真:筆者撮影
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