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筆者エッセイ

縁日、郷愁のテーマパークとベビーカステラ

 地方都市の社宅で育った私は、子供の頃に縁日に行った記憶がない。祭りも知らない。父は転勤の多いサラリーマンだったので、地元とのつながりもあまりなかったのだ。
 
 しかし高校時代。私は、越境組として都立高校に通っていた。クラスメートはほぼ全員、区立中学出身者。しかも、東京イーストエリア、都立5学区内。入学早々、5月の連休前後には、教室の中で三社祭りの話題が飛び交うようなそんな場所である。もちろん私は、まったく観光客状態だった。

 それは初夏の下校時、神社脇を通りかかった時の出来事だった。
 神社では縁日の最中。「あんず飴が食べたい」と言った友人に「それ何?」と聞いたのがきっかけだった。「え〜?! あんず飴を知らないっ?!」と、友人は仰天。「何言ってんの、あんず飴ぐらい・・・」と言いかけて、友人はハッと気がついた。私は都内育ちではなく、越境組の田舎者だった、ということに。
 「よし、あんず飴、おごってあげる!」というわけで、私は、友人のMちゃんに連れられ、縁日に足を踏みこんだ。やった!縁日デビュー。ああ、持つべきものは友人。Mちゃん、ありがとう!
 
 すぐ下を山手線が走り、川の手が見渡せる高台に立つ神社の縁日。涼しい風が、神社のご神木の梢を吹き抜けていく。
 ちょっと薄暗くなってきた境内に、色とりどりの灯り。灯りに照らされる風船やお面。発電機の回る音。縁日独特の雰囲気である。
 
 水飴をまとって、つやつやと輝く赤いシロップ付けの果物が、氷の上に並んでいる。なんとも綺麗。もしかしてこの赤いシロップ漬けの果物は・・・以前、駄菓子屋で見かけたことがある。地方都市でも駄菓子屋ぐらいはあった。だが、私は母親に、駄菓子屋への出入りを禁止されていた。理由は幾つかあるけれど、最大の理由は、私が子供の頃からアレルギーに悩まされていた、ということ。実際、めったなものを口にできなかったから。
 水飴をまとったあんずは、駄菓子屋に並んでいたあのみすぼらしい姿とは格段、きらきらと輝いていた。その誘惑に私は逆らえず、ええい、アレルギーぐらい、なんとかなるわい!と、覚悟を決めた。まさに禁断の味である。

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 焼きソバの香りが漂ってくる。でもMちゃんは、焼きソバはやめたほうがいいという。その理由は青海苔。なにせ学区内の神社である。他のクラスにいる男子なんかが通りかかると、急に仲良くなったりする可能性もある。青海苔は歯にひっつくのでみっともない、というわけ。
 
 さて、縁日というのは、一般には、神社の縁起(由来)にちなんだ日。縁日には参拝客がやってくるため、門前で市が開かれるようになった。縁日の語源は有縁日。神仏が一般人の世の中と縁を結ぶ日なのだが、これが江戸時代なら、縁日はたしかに若い男女の出会いの場にもなっていたに違いなく、まさに男女の仲(縁)の取り持ちの場であっただろう。
 
 でも、焼きソバが縁日に登場したのは、たぶん近代になってからだ。江戸の縁日には、どんなものが並んでいたのだろう。
 金太郎飴、鼈甲飴。屋台の寿司、饅頭、団子。金魚すくいもあったはず。江戸では金魚が大流行。足立区から葛飾区にかけて、かつて金魚池がかなりあったということである。(それらの金魚池は埋め立てられ、今では、その上にファミレスが建っていたりする。)
 
 そしてお面、射的、絵馬、紙風船、風車、おはじき、ビー玉・・・。子供の頃に縁日に行ったことがない私でさえ、その雰囲気には、どこか郷愁めいたものを感じるのだから不思議だ。
 
 「あれがゴリラ風船のおじさん。」と、Mちゃんが教えてくれた。風船をみるみる間にボンベで膨らませ、細長い風船をきゅっと鉢巻に縛って、ハイ、出来上がり。実にあざやかな手つき。
 「なんでゴリラ?」「顔がゴリラに似ているから。」ゴリラ風船のおじさんは、東京イーストエリアの縁日ではかなりの有名人ということで、40代以上の人ならたぶん知っていると思う。
 
 あとで御土産用のベビーカステラを買わなくっちゃ、とMちゃんは言う。家に帰って「はい御土産」と言って渡すと、喜ばれるのだとか。ベビーカステラの焼きあがり時間前には、行列が出来る。ベビーカステラ好きは、わざわざ深川八幡の門前町まで買いに出かけるらしい。
 
 ・・・と、昔を思い出していたら、最近、ベビーカステラが、人気だとか。それも、おしゃれなスポットで、パフェに変身したりしているという噂を聞いた。へ〜、あのベビーカステラがねえ。

秋月さやか


参考資料:素材辞典

筆者エッセイ > 筆者エッセイ 縁日、郷愁のテーマパークとベビーカステラ

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