筆者エッセイ
冬の大根
大根。いかにも、日本原産の和の野菜の代表のように思えるでしょう?実際、大根の生産量消費量、共に世界一は日本です。和食に大根は欠かせません。
それが。大根は帰化植物だという説が有力です。 大根の原産地は地中海沿岸地域から中央アジアで、 すでに紀元前2000年には、古代エジプトで栽培されていたということです。そして、ピラミッド建設の人夫たちは大根を食べていたとか。りゅう座αのツバーンを北の空に眺めながら、いったい、どんな調理方法で大根を食べていたのやら。
ただし、エジプトの大根(ラディッシュ)は、日本の大根のような大きなものではなく、二十日大根ぐらいの小さいもの。ラディッシュは蕪のこと、と思った人もいるでしょう。私も昔はそう思っていましたが、ラディッシュ(Radish)が大根。ちなみに蕪はTurnipで、ちょっと違う。
日本の大根は、細長くて太くて白い。大根(おおね)清白(すずしろ)とか呼ばれます。そして、大根(ラディッシュ)には多様な形と色があります。白、黄、赤、黒、緑、紫。小さいの、太いの、丸いの、長いの。
大根は西域から中国に伝わり、日本には8世紀ごろ中国から渡来したそう。ちなみに大根の中国名は蘿蔔です。最初にこの名前を見た時、葡萄に似ているナニかなのかと思いましたが、葡萄とはまったく関係なかった。まあとにかく、中国では大根では通じませんので。私は、大根の中国風醤油漬け(干した大根を醤油と山椒で漬ける)が大好物なのですが、あれは「醤蘿蔔」と書きます。
大根という珍しい渡来の野菜を、うやうやしく平安の貴族たちが拝んだこともあるのでしょうか。おお、大根様、ありがたや、とかなんとか。
しかし、『古事記』の仁徳天皇の歌には、大根が登場します。「つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ ⇒山城女が木の鍬を持って畑を耕して作った大根の根のように、(あなたの)白い腕を手枕にして寝た間柄ではないか、知らないなどと言わないでくれ。)」、恋の歌というか、妻に浮気がばれた時の言い訳の歌なのだそうですが。大根が女性の腕(うで)にたとえられることは多くあり、つまり、腕ぐらいの太さの大根はあったようです。しかし、足ほどの太さのものはまだない。仁徳天皇の御世は4世紀から5世紀にかけてであったとされ、それが本当なら、大陸から大根が渡ってくる前のことになり、その歌に、大根が登場しているという事は…。
もともと日本には在来種としての野大根があり、それが、大陸から渡来した大根と交配したという説も、あることはあるようです。真相は不明だけど。
『徒然草』には、大根を薬として毎日2本ずつ食べていた男がおり、(毎日2本なんて無理でしょ、と思いましたが、たぶん、二十日大根のような小さい大根なのでしょう。いずれにしろ、昔の大根は今の大根ほど大きくはなかったはずですので。)、その大根好きな男の屋敷が賊に襲われた時、どこかから二人の武士があらわれて賊を追い払ってくれたのですが、それが、白と緑の衣服を着た大根の精だった、ということであります。つまり、イワシの頭も信心からの大根版。こんな嘘くさい話を、よくもまあ恥ずかしくもなく書いたものだと呆れるしかないのですが、それほどまでに、大根は体にいいと信じられ流行っていたのでしょうか。
三浦に住んでいた頃、11月になると、畑の中の直売所に、疎抜き大根が並んだものです。疎抜きとは間引きのことで、この小さい大根を葉っぱが付いたままよく洗い、塩と昆布を入れてポリ袋の中に入れる。一晩置くと、大根の浅漬けのできあがり。抜いてすぐの大根で作らないと美味しくないので、直売所に行って、朝に引き抜かれたものを買う。まあ、夕方までには売り切れちゃうんですが。一束100円とか、そんな値段ですが。泥付きの小さな大根を洗っていると、冷たい水に指先がかじかんできて、ああ、冬になったんだよね、そういえば年賀状のことも考えなきゃね、と、年末のスケジュールが思い浮かんでくる日々でした。
冬になれば大根が育ち、太る。夏大根という品種もありますが、大根の旬は冬。
エジプトのラディッシュと、日本の大根は、やはり違うのではないかと思いながら、おでん用の大根を三浦に買いに行くスケジュールを考えるのが、冬の風物詩なのでありました。 (秋月さやか)
それが。大根は帰化植物だという説が有力です。 大根の原産地は地中海沿岸地域から中央アジアで、 すでに紀元前2000年には、古代エジプトで栽培されていたということです。そして、ピラミッド建設の人夫たちは大根を食べていたとか。りゅう座αのツバーンを北の空に眺めながら、いったい、どんな調理方法で大根を食べていたのやら。
ただし、エジプトの大根(ラディッシュ)は、日本の大根のような大きなものではなく、二十日大根ぐらいの小さいもの。ラディッシュは蕪のこと、と思った人もいるでしょう。私も昔はそう思っていましたが、ラディッシュ(Radish)が大根。ちなみに蕪はTurnipで、ちょっと違う。
日本の大根は、細長くて太くて白い。大根(おおね)清白(すずしろ)とか呼ばれます。そして、大根(ラディッシュ)には多様な形と色があります。白、黄、赤、黒、緑、紫。小さいの、太いの、丸いの、長いの。
大根は西域から中国に伝わり、日本には8世紀ごろ中国から渡来したそう。ちなみに大根の中国名は蘿蔔です。最初にこの名前を見た時、葡萄に似ているナニかなのかと思いましたが、葡萄とはまったく関係なかった。まあとにかく、中国では大根では通じませんので。私は、大根の中国風醤油漬け(干した大根を醤油と山椒で漬ける)が大好物なのですが、あれは「醤蘿蔔」と書きます。
大根という珍しい渡来の野菜を、うやうやしく平安の貴族たちが拝んだこともあるのでしょうか。おお、大根様、ありがたや、とかなんとか。
しかし、『古事記』の仁徳天皇の歌には、大根が登場します。「つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 根白の 白腕 枕かずけばこそ 知らずとも言はめ ⇒山城女が木の鍬を持って畑を耕して作った大根の根のように、(あなたの)白い腕を手枕にして寝た間柄ではないか、知らないなどと言わないでくれ。)」、恋の歌というか、妻に浮気がばれた時の言い訳の歌なのだそうですが。大根が女性の腕(うで)にたとえられることは多くあり、つまり、腕ぐらいの太さの大根はあったようです。しかし、足ほどの太さのものはまだない。仁徳天皇の御世は4世紀から5世紀にかけてであったとされ、それが本当なら、大陸から大根が渡ってくる前のことになり、その歌に、大根が登場しているという事は…。
もともと日本には在来種としての野大根があり、それが、大陸から渡来した大根と交配したという説も、あることはあるようです。真相は不明だけど。
『徒然草』には、大根を薬として毎日2本ずつ食べていた男がおり、(毎日2本なんて無理でしょ、と思いましたが、たぶん、二十日大根のような小さい大根なのでしょう。いずれにしろ、昔の大根は今の大根ほど大きくはなかったはずですので。)、その大根好きな男の屋敷が賊に襲われた時、どこかから二人の武士があらわれて賊を追い払ってくれたのですが、それが、白と緑の衣服を着た大根の精だった、ということであります。つまり、イワシの頭も信心からの大根版。こんな嘘くさい話を、よくもまあ恥ずかしくもなく書いたものだと呆れるしかないのですが、それほどまでに、大根は体にいいと信じられ流行っていたのでしょうか。
三浦に住んでいた頃、11月になると、畑の中の直売所に、疎抜き大根が並んだものです。疎抜きとは間引きのことで、この小さい大根を葉っぱが付いたままよく洗い、塩と昆布を入れてポリ袋の中に入れる。一晩置くと、大根の浅漬けのできあがり。抜いてすぐの大根で作らないと美味しくないので、直売所に行って、朝に引き抜かれたものを買う。まあ、夕方までには売り切れちゃうんですが。一束100円とか、そんな値段ですが。泥付きの小さな大根を洗っていると、冷たい水に指先がかじかんできて、ああ、冬になったんだよね、そういえば年賀状のことも考えなきゃね、と、年末のスケジュールが思い浮かんでくる日々でした。
冬になれば大根が育ち、太る。夏大根という品種もありますが、大根の旬は冬。
エジプトのラディッシュと、日本の大根は、やはり違うのではないかと思いながら、おでん用の大根を三浦に買いに行くスケジュールを考えるのが、冬の風物詩なのでありました。 (秋月さやか)
占術研究家 秋月さやか
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