占術解説
占いは信じられない。と恋人に言われました・・・
相性を占おうとして、恋人に生年月日を聞いたんですね。そうしたら、「占いは信じられない。」と言われちゃったんです・・・。ああ、どうしたらいいでしょう。おろおろしながら、そう質問してきたのは、仕事で出会ったイラストレーターの女性です。
占いに関して言えば、世の中には、大別して3種類の考え方の人たちがいるでしょう。
1・占いを信じる
2・どっちでもない
3・占いは信じない
占いとは、つまり運命の理論体系ですが、それはある種の思想といってもいい種類のものです。もう少しわかりやすく説明しましょう。占いを宗教と置き換えてみてください。占いと宗教は、もちろん同じものではありませんが、占いを信じるか信じないか。これは、この世に、神がいるかいないかという議論に、極めて近いものです。宗教体系、占術体系、魔術体系、この3つの構造は、基本的に類似なのです。
宗教を信じる自由があるように、占いを信じる自由は、当然誰にでもあるはずです。しかしながら、宗教と同じように、信じない自由もまたあります。つまり、「占いは信じない」人が、「占いなんて信じられない」と口にする自由も、もちろんあるということですね。
占いを信じていない人に、信じさせることはもちろんできません。が、もっとやっかいなのは、占いを信じていない人は、占いを忌み嫌うことが多いということです。係わり合いになるのさえ嫌がる人もいます。そして、占いを信じる自由があるなどとは、認めてくれない場合さえあります。つまり、そのような人たちに、「占いのため」と言って、生年月日を聞くのはやめたほうがいい、ということです。さらには、「1・占いを信じる」人と、「3・占いは信じない」人は、残念ながら相容れないことが多いのです。
私の個人的な問題に関して言えば、周囲の友人たちで、占いを信じているという人は、5人に1人ぐらいでしょうか。3人は、どっちでもいい。そして、5人のうち1人は、はっきりと占い嫌いです。私は、自身が占い関連の仕事をしているということを、プライベートでは伏せています。が、なんとなく察知して、離れていった友人も実際にいます。
もう時効だから書いてもいいでしょう。ずいぶん前、私は、ある週刊誌の占い欄の執筆を担当していました。その週刊誌は、占いの専門誌ではありませんが、毎月の占いを掲載していました。今でも、そういう雑誌は多いでしょう。その編集部に、占いが大嫌いという編集者がいました。直接の担当者ではなかったのですが、初対面で「占いなんてインチキなのに」と、面と向かって言われました。まあ、そういわれてもねえ、私は仕事として、占い欄の執筆をお受けしているわけです。忘年会では「占いなんてインチキな仕事をしていて恥ずかしくないのか?」と絡まれて、大変困りました。その方は、社会派の記者で、差別問題にも詳しく、御著書もあったのですが・・・。
私はその編集部にいくこと自体が、だんだん苦痛になってきました。顔を合わせれば、インチキ呼ばわりされるのです。その方に「私は仕事として原稿を書いてお渡ししているので、一定の原稿料をいただくことは、いんちきでもなんでもなく、ましてや、その内容が占いであることについては、あなたの好き嫌いの問題としか言えないので、論じないでいただけますか?」とお願いしたこともあります。でも、「好き嫌いの問題なんか論じていない! 世の中から占いなんてなくなればいいんだ!」と、睨まれました。占いに対する嫌悪感もさることながら、今にして思えば、あれは、私に対する苛めの一種だったのかも知れません。
とはいえ、占いが嫌いになってしまう人の気持ちも、わからないではありません。「占いで、こういう人と決め付けられた。」とか、「いいかげんなことを言われて、不安にさせられた。」とか。特に、前者は深刻です。決め付けられることに対する反発はかなり大きいものがあるからです。占い嫌いの知人に、「どうして占いが嫌いになったの?」と聞いてみたことがあります。すると、その人は信じられないことを口にしました。以前、ある会社(中小企業)の就職試験を受けたのだそうです。その時、生年月日から出した占いの結果を見せられ、「あなたは採用できない」と言われたのだとか。たぶんそれは、占いの結果が理由などではありません。占いはカムフラージュです。とはいえ・・・。むしろ、そういう会社には就職しなくてよかったと思う、と私はその人に告げましたが・・・。なんと言ったらいいのでしょう。占い業界の関係者としては、大変心が痛む裏話です。
しかしもうひとつ、問題があります。「1・占いを信じている」人たちが、必ずしも、すべての占いに好意的というわけではありません。どの占いが正しいか、で、しばしば争いが起こります。たしかに、「当てる」ことを目的として行われている占いがあることも事実です。「当てる」ことを目的としてのトレーニングも存在します。が、それは個人的な修行ともいえる部分で、論理的な体系として説明できるようなトレーニングではありません。たとえて言えば、アスリートが技を磨くような感覚に近いでしょう。ですが・・・。的に当たったから正しい、外れたから意味がない、という理論はいかがなものでしょうか。そもそも占いは科学ではなく、確率論でもないので、「当たる」ことをもって、これが正しいと証明すること自体、できないと私は考えています。
けっきょくのところ私は、占いに関しては、「2・どっちでもない」人たちと一緒のほうが、占いのお話を楽しくできることが多いのです。「どっちでもない」人たちは、信じたいことだけを信じる、という、案外自主判断性のある健全な接し方をしているからです。そして実際、私も、すべての占いを信じているわけではありません。信じているものも、いないものもあります。たいして関心がもてないものもあれば、押し付けられたくないものもあります。
もしも、あなたの恋人が「占いは信じられない。」というのであれば、占いの話題は出すべきではないでしょう。「私、占いよりもあなたを信じる。信じていいのよね?」と言って、相手の目をじっとみつめれば、それでいいのではないでしょうか。
占いに関して言えば、世の中には、大別して3種類の考え方の人たちがいるでしょう。
1・占いを信じる
2・どっちでもない
3・占いは信じない
占いとは、つまり運命の理論体系ですが、それはある種の思想といってもいい種類のものです。もう少しわかりやすく説明しましょう。占いを宗教と置き換えてみてください。占いと宗教は、もちろん同じものではありませんが、占いを信じるか信じないか。これは、この世に、神がいるかいないかという議論に、極めて近いものです。宗教体系、占術体系、魔術体系、この3つの構造は、基本的に類似なのです。
宗教を信じる自由があるように、占いを信じる自由は、当然誰にでもあるはずです。しかしながら、宗教と同じように、信じない自由もまたあります。つまり、「占いは信じない」人が、「占いなんて信じられない」と口にする自由も、もちろんあるということですね。
占いを信じていない人に、信じさせることはもちろんできません。が、もっとやっかいなのは、占いを信じていない人は、占いを忌み嫌うことが多いということです。係わり合いになるのさえ嫌がる人もいます。そして、占いを信じる自由があるなどとは、認めてくれない場合さえあります。つまり、そのような人たちに、「占いのため」と言って、生年月日を聞くのはやめたほうがいい、ということです。さらには、「1・占いを信じる」人と、「3・占いは信じない」人は、残念ながら相容れないことが多いのです。
私の個人的な問題に関して言えば、周囲の友人たちで、占いを信じているという人は、5人に1人ぐらいでしょうか。3人は、どっちでもいい。そして、5人のうち1人は、はっきりと占い嫌いです。私は、自身が占い関連の仕事をしているということを、プライベートでは伏せています。が、なんとなく察知して、離れていった友人も実際にいます。
もう時効だから書いてもいいでしょう。ずいぶん前、私は、ある週刊誌の占い欄の執筆を担当していました。その週刊誌は、占いの専門誌ではありませんが、毎月の占いを掲載していました。今でも、そういう雑誌は多いでしょう。その編集部に、占いが大嫌いという編集者がいました。直接の担当者ではなかったのですが、初対面で「占いなんてインチキなのに」と、面と向かって言われました。まあ、そういわれてもねえ、私は仕事として、占い欄の執筆をお受けしているわけです。忘年会では「占いなんてインチキな仕事をしていて恥ずかしくないのか?」と絡まれて、大変困りました。その方は、社会派の記者で、差別問題にも詳しく、御著書もあったのですが・・・。
私はその編集部にいくこと自体が、だんだん苦痛になってきました。顔を合わせれば、インチキ呼ばわりされるのです。その方に「私は仕事として原稿を書いてお渡ししているので、一定の原稿料をいただくことは、いんちきでもなんでもなく、ましてや、その内容が占いであることについては、あなたの好き嫌いの問題としか言えないので、論じないでいただけますか?」とお願いしたこともあります。でも、「好き嫌いの問題なんか論じていない! 世の中から占いなんてなくなればいいんだ!」と、睨まれました。占いに対する嫌悪感もさることながら、今にして思えば、あれは、私に対する苛めの一種だったのかも知れません。
とはいえ、占いが嫌いになってしまう人の気持ちも、わからないではありません。「占いで、こういう人と決め付けられた。」とか、「いいかげんなことを言われて、不安にさせられた。」とか。特に、前者は深刻です。決め付けられることに対する反発はかなり大きいものがあるからです。占い嫌いの知人に、「どうして占いが嫌いになったの?」と聞いてみたことがあります。すると、その人は信じられないことを口にしました。以前、ある会社(中小企業)の就職試験を受けたのだそうです。その時、生年月日から出した占いの結果を見せられ、「あなたは採用できない」と言われたのだとか。たぶんそれは、占いの結果が理由などではありません。占いはカムフラージュです。とはいえ・・・。むしろ、そういう会社には就職しなくてよかったと思う、と私はその人に告げましたが・・・。なんと言ったらいいのでしょう。占い業界の関係者としては、大変心が痛む裏話です。
しかしもうひとつ、問題があります。「1・占いを信じている」人たちが、必ずしも、すべての占いに好意的というわけではありません。どの占いが正しいか、で、しばしば争いが起こります。たしかに、「当てる」ことを目的として行われている占いがあることも事実です。「当てる」ことを目的としてのトレーニングも存在します。が、それは個人的な修行ともいえる部分で、論理的な体系として説明できるようなトレーニングではありません。たとえて言えば、アスリートが技を磨くような感覚に近いでしょう。ですが・・・。的に当たったから正しい、外れたから意味がない、という理論はいかがなものでしょうか。そもそも占いは科学ではなく、確率論でもないので、「当たる」ことをもって、これが正しいと証明すること自体、できないと私は考えています。
けっきょくのところ私は、占いに関しては、「2・どっちでもない」人たちと一緒のほうが、占いのお話を楽しくできることが多いのです。「どっちでもない」人たちは、信じたいことだけを信じる、という、案外自主判断性のある健全な接し方をしているからです。そして実際、私も、すべての占いを信じているわけではありません。信じているものも、いないものもあります。たいして関心がもてないものもあれば、押し付けられたくないものもあります。
もしも、あなたの恋人が「占いは信じられない。」というのであれば、占いの話題は出すべきではないでしょう。「私、占いよりもあなたを信じる。信じていいのよね?」と言って、相手の目をじっとみつめれば、それでいいのではないでしょうか。
占術研究家 秋月さやか
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