占術解説
「宿命」と「運命」の違い
友人のEちゃんが、こう聞いてきたことがある。「運命の人と、宿命の人は違うの?」
その頃、彼女はお見合いを考えていた最中だった。10年以上もつきあっていた男と別れた直後、なにがなんでも!とかなり切迫した雰囲気でお見合い紹介所に乗り込んで登録したのだという。「無理にお見合いなんてしなくたっていいじゃん?」という私の言葉に、彼女は諦めた表情で頭をゆっくりと横に振る。「田舎じゃ出会いなんて、犬にぶつかるよりも少ないのよ。」しかし彼女は、別れた相手を忘れたいからお見合いを考えただけなのだ。別れた彼を忘れられずに年取っていく自分を想像するだけで、悲しくて涙が止まらないのだという。別れたY君は、運命の相手なんかじゃなかった、この際、運命の相手は自分で探すしかない、と覚悟したのだという。うん、その覚悟はあっぱれだと思う。友人としては、なにがなんでも応援したいところである。でも・・・。
そしてEちゃんがお見合いおばさんから見せられた写真(+釣書)が2人。あなたの年齢だと贅沢は言えないわよ、と念を押され、さらには、気になる相手から会ったほうがいいわよ、早い者勝ちだから、とご丁寧なアドバイスまでされたそうだ。しかし正直、どちらも好みのタイプではなかったのだという。そこで彼女はとある占い鑑定所を訪ねた。「どっちの人から会ったらいいのか、教えてください。」と。彼女はたぶん真面目すぎるのだろう。そんな質問をされてもねえ。そして占術家はこう答えたそうだ。1人目の男性はあなたにとって「宿命の人」ですね。2人目の人は「運命の人」。「あの・・・どちらから会えばいいんでしょうか?」となおも重ねて質問したら、「あなたが選ぶんですよ。」と返されたそうである。たしかに彼女の聞き方もちょっと問題あるけれど・・・どっちもどっちだよなあ。最終決断はもちろん、自分自身であることは言うまでもありませんが。
で、彼女は「宿命」と「運命」のどちらを選ぶかで悩んでいるのだという。そして「ねえ、宿命と運命はどっちが強いの?」と私に聞いてきたというわけ。「コウジエンでひいてみれば〜?」と私。これはかなり皮肉っぽい返し方のつもりだったのだ。なぜなら、彼女は高校教師、それも受け持ちは現国と古文。しかし彼女はこう答えた。「運命と宿命は同じよ。確かめてみてもいいわよ。【運命】の説明に、宿命論って書いてあるんだから。」と。私はびっくりして、すぐさま確かめてみたわけだが、なるほど、それは本当だった。そしてさらに驚くことには、【宿命】の項目の最後に、運命論に同じ。と書いてあるではないか! 一般人の解釈としてはそういうことなのだろう。しかしこの際、私は占術関係者として、「宿命」と「運命」の違いを論じてみようと思ったわけである。以下は、私(秋月さやか)の個人的な見解であることを、あらかじめお断りしておきます。もちろん、みなさんにはそれぞれ別なご意見もあろうかと思いますので。
「宿命」とは命を宿すと書く。宿された命は、ある時、ある場所で、この世に誕生する。その場所、時期、さらには誰を親として生まれてくるか、子供は選べない。これが「宿命」である。これは、変えようがない事実であり、本人の意思の及ばないところ。そういう意味で「宿命」とは絶対。出生天空図は、そういう意味では宿命の図である。
では「運命」とは何か。こちらは命を運ぶと書く。つまり、この世に誕生した後から、その周囲を取り巻いて動き始めるのが運命である。運命には自分自身に選択の余地がある。生まれたばかりの幼子でさえ、意思はあり、自ら選択して、笑ったり泣いたりするのだ。親の運命と連動している部分はたしかに大きいけれど、それとて運命である。この世に産み落とされ、地上の空気を自力で呼吸した瞬間から、運命は作動を開始する。もちろん、周囲との関係性もあるから、すべてが思い通りになるという意味ではないけれど、運命は作られていくものには違いない。そして同時に、運命は運に命じるのである。
つまり宿命とは誕生の瞬間までで(だから前世も宿命の範疇になる)、そして運命はその後に続く人生すべてだと私は思う。運行する星々、それは運命の動きをあらわすものである。そういう意味では、ネイタルを宿命、トランジットを運命と言い換えてもいいかと思う。
人はしばしば、自分の意思を超えるほどの大きな影響を宿命と呼ぶ。でも、それは「自分ではどうしようもない、逆らいがたい大きな運命」ということであって、「宿命」ではない、と私はきっぱりと考える。宿命は確かに、出生天空図に宿されている運命の種子までを用意してはくれるのだろう。けれど、その先の流れまですべて決めてしまっている(あるいは決めてくれている)わけではない。生まれる前から決まっていたからしかたないんだよ、たしかに遺伝子に関してはそういうこともあるだろう。でも、出生と遺伝子起因ではない出来事に、そんな言い方があるだろうか?
「ということは、私とY君が別れたのは宿命じゃなくて運命なの?」と彼女が問いかける。そうでしょうね。人生上に起こることは、すべて運命。「私が結婚相手を見つけるのは宿命なの?」いや、それも運命でしょ。仮に、生まれる前からいいなずけが決まっているとしたって、それに従うという意思表示をした時点でそれは運命になるのだから。
「運命の人」は、自分で決めるもの。もしも「宿命の人」がいるとしても、その人を「運命の人」にするかどうかは、自分次第。その人が「宿命の人」ではなかったとしても、「運命の人」にしようと自ら決めることは、もちろんできるのです。そう、「運命の人」は、あなたが選ぶものです。
とはいうものの、「運命の人」イコール「結婚相手」かどうかというあたりは・・・人それぞれ。という蛇足のような一文をいちおう付け加えておきましょう。
参考文献:
広辞苑 第四版 岩波書店
その頃、彼女はお見合いを考えていた最中だった。10年以上もつきあっていた男と別れた直後、なにがなんでも!とかなり切迫した雰囲気でお見合い紹介所に乗り込んで登録したのだという。「無理にお見合いなんてしなくたっていいじゃん?」という私の言葉に、彼女は諦めた表情で頭をゆっくりと横に振る。「田舎じゃ出会いなんて、犬にぶつかるよりも少ないのよ。」しかし彼女は、別れた相手を忘れたいからお見合いを考えただけなのだ。別れた彼を忘れられずに年取っていく自分を想像するだけで、悲しくて涙が止まらないのだという。別れたY君は、運命の相手なんかじゃなかった、この際、運命の相手は自分で探すしかない、と覚悟したのだという。うん、その覚悟はあっぱれだと思う。友人としては、なにがなんでも応援したいところである。でも・・・。
そしてEちゃんがお見合いおばさんから見せられた写真(+釣書)が2人。あなたの年齢だと贅沢は言えないわよ、と念を押され、さらには、気になる相手から会ったほうがいいわよ、早い者勝ちだから、とご丁寧なアドバイスまでされたそうだ。しかし正直、どちらも好みのタイプではなかったのだという。そこで彼女はとある占い鑑定所を訪ねた。「どっちの人から会ったらいいのか、教えてください。」と。彼女はたぶん真面目すぎるのだろう。そんな質問をされてもねえ。そして占術家はこう答えたそうだ。1人目の男性はあなたにとって「宿命の人」ですね。2人目の人は「運命の人」。「あの・・・どちらから会えばいいんでしょうか?」となおも重ねて質問したら、「あなたが選ぶんですよ。」と返されたそうである。たしかに彼女の聞き方もちょっと問題あるけれど・・・どっちもどっちだよなあ。最終決断はもちろん、自分自身であることは言うまでもありませんが。
で、彼女は「宿命」と「運命」のどちらを選ぶかで悩んでいるのだという。そして「ねえ、宿命と運命はどっちが強いの?」と私に聞いてきたというわけ。「コウジエンでひいてみれば〜?」と私。これはかなり皮肉っぽい返し方のつもりだったのだ。なぜなら、彼女は高校教師、それも受け持ちは現国と古文。しかし彼女はこう答えた。「運命と宿命は同じよ。確かめてみてもいいわよ。【運命】の説明に、宿命論って書いてあるんだから。」と。私はびっくりして、すぐさま確かめてみたわけだが、なるほど、それは本当だった。そしてさらに驚くことには、【宿命】の項目の最後に、運命論に同じ。と書いてあるではないか! 一般人の解釈としてはそういうことなのだろう。しかしこの際、私は占術関係者として、「宿命」と「運命」の違いを論じてみようと思ったわけである。以下は、私(秋月さやか)の個人的な見解であることを、あらかじめお断りしておきます。もちろん、みなさんにはそれぞれ別なご意見もあろうかと思いますので。
「宿命」とは命を宿すと書く。宿された命は、ある時、ある場所で、この世に誕生する。その場所、時期、さらには誰を親として生まれてくるか、子供は選べない。これが「宿命」である。これは、変えようがない事実であり、本人の意思の及ばないところ。そういう意味で「宿命」とは絶対。出生天空図は、そういう意味では宿命の図である。
では「運命」とは何か。こちらは命を運ぶと書く。つまり、この世に誕生した後から、その周囲を取り巻いて動き始めるのが運命である。運命には自分自身に選択の余地がある。生まれたばかりの幼子でさえ、意思はあり、自ら選択して、笑ったり泣いたりするのだ。親の運命と連動している部分はたしかに大きいけれど、それとて運命である。この世に産み落とされ、地上の空気を自力で呼吸した瞬間から、運命は作動を開始する。もちろん、周囲との関係性もあるから、すべてが思い通りになるという意味ではないけれど、運命は作られていくものには違いない。そして同時に、運命は運に命じるのである。
つまり宿命とは誕生の瞬間までで(だから前世も宿命の範疇になる)、そして運命はその後に続く人生すべてだと私は思う。運行する星々、それは運命の動きをあらわすものである。そういう意味では、ネイタルを宿命、トランジットを運命と言い換えてもいいかと思う。
人はしばしば、自分の意思を超えるほどの大きな影響を宿命と呼ぶ。でも、それは「自分ではどうしようもない、逆らいがたい大きな運命」ということであって、「宿命」ではない、と私はきっぱりと考える。宿命は確かに、出生天空図に宿されている運命の種子までを用意してはくれるのだろう。けれど、その先の流れまですべて決めてしまっている(あるいは決めてくれている)わけではない。生まれる前から決まっていたからしかたないんだよ、たしかに遺伝子に関してはそういうこともあるだろう。でも、出生と遺伝子起因ではない出来事に、そんな言い方があるだろうか?
「ということは、私とY君が別れたのは宿命じゃなくて運命なの?」と彼女が問いかける。そうでしょうね。人生上に起こることは、すべて運命。「私が結婚相手を見つけるのは宿命なの?」いや、それも運命でしょ。仮に、生まれる前からいいなずけが決まっているとしたって、それに従うという意思表示をした時点でそれは運命になるのだから。
「運命の人」は、自分で決めるもの。もしも「宿命の人」がいるとしても、その人を「運命の人」にするかどうかは、自分次第。その人が「宿命の人」ではなかったとしても、「運命の人」にしようと自ら決めることは、もちろんできるのです。そう、「運命の人」は、あなたが選ぶものです。
とはいうものの、「運命の人」イコール「結婚相手」かどうかというあたりは・・・人それぞれ。という蛇足のような一文をいちおう付け加えておきましょう。
占術研究家 秋月さやか
参考文献:
広辞苑 第四版 岩波書店
占術解説 > 占術解説 「宿命」と「運命」の違い
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