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占星解説

私は冥王星を使いません、その理由は…認識されないのが冥王星だから

 最近、占星術をやっている方にお会いすると、なぜかみなさん冥王星を話題になさる。「はじめまして、私、冥王星と太陽が合(コンジャンクション)なんです。」というように。なぜ自己紹介で冥王星の話? もしかしたら「冥王星こそが、運命を変える鍵であり、不可能を可能にするオカルトの象徴」というような捉え方で、冥王星を重要視することが、流行っている…のかも知れませんが。
 
 しかし、冥王星の質量は小さい。月よりも小さい。だから2006年、冥王星は準惑星に区分されることとなった。私はあの決定を聞いた時、「やっぱりね」と思った。などと書くと、質量が問題なんじゃない!という声も聞こえてきそうですが。そう、問題は質量ではない。
 つまり…冥王星がないほうが、占星術の体系がすっきりする、と常々私は思っていたから。いや、冥王星信奉者のみなさんには大変申し訳ない考え方です。でも、私にはそう思えるの。なぜ冥王星がないほうがすっきりするかという理由を以下に説明します。もちろんこれは私の考え方なので、批判はどうぞご自由に。もしかしてその結果、冥王星の存在をクローズアップしてしまうことになってしまう…というような、私の主張とは真逆のことが起こってしまう危険性もありますけどね。
 
 さて、占星術は太陽系の惑星を使用する占術で、太陽と月、そして水星から冥王星までの8個、計10個の天体を使用する。とまあ、このように説明されていることがあります。たしかにそうなのですが、しかし、この説明は必ずしも正しいとはいえません。占星術とはもともと、天動説の体系を用い、太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星、この7つの星辰を使用する占術です。
 古典として作られた占星術の世界は天動説であり、プトレマイオスのアルマゲストは天動説の体系で説明されている。(周転円を用いて順行と逆行について説明している。) コペルニクスの地動説が登場した後も、見かけ上、人々が眺めている天に変わりはなかったので、実際には地動説であることは了解したうえで(もちろん、軌道計算などは地動説を理解しなきゃできませんから)、でも、占星術の世界観を描くとしたら、これはやはり天動説として描くほうがわかりやすいわけです。
 
 古典では目に見える惑星を扱うので、太陽と月という2つのライツ以外の星は、水星、金星、火星、木星、土星の5つ。太陽と月は順行しかしないけれど、惑星は順行だけでなく逆行もする。さまよえる星、惑星。この7つの星辰が、占星術の世界を作っているのは、動くのが天であっても、地であっても、変わりはない。占術というのは、世界観であり世界がきちんと動くように設定されていなくてはならない。
 恒星天の中に、太陽から土星までの移動する天体を配置するのが占星術の天宮図(ホロスコープ)ということになる。
 恒星天は星座宮を決める。星座宮(Sign)は、春分点からはじまる。春分点が移動していくことは、現代の占星術をやっている人なら、誰だって知っている。春分の日に太陽は牡羊座にはない。春分点のある魚座の領域にある。しかし、それでも黄道0度から30度未満の天の領域は、占星術では牡羊座宮(Aries)と表記する。これは占星術の約束事だからだ。そして、中心にある地上の地平線との関係性で、アングルもしくはハウスが区分される。その占星術の世界で、最遠にある星は土星だった。
 
 しかし1781年3月13日、ハーシェルによって天王星が発見される。天の最遠、土星の外側にまだ惑星があったなんて! これがトランスサタニアン。天王星の発見によって、7つの惑星(注・太陽と月を含めた場合の数え方)が占星術の世界を支配していた古い時代は終わる。地上世界では古い支配体制が終わりを告げ、フランス革命が起こり、新大陸が発見されて新しい世の中へと移り変わりつつあった。
 天王星の発見が、占星術の世界を広げてしまったということ。といっても、天王星は太陽と衝(オポジション)となると6等星ぐらいの明るさで輝く。だから、かつて恒星として観測された記録があり、なんと!ハーシェルが発見するより以前、1750年にフランスの天文学者ルモニエが観測した記録が残っているという。ルモニエは天王星が移動することから、これが惑星であるということは理解していたにもかかわらず、学会への報告を怠ったため、その存在を世の中に知らしめるまでにはならなかったし、天王星の発見者という名誉も得てはいない。ルモニエはもちろん望遠鏡で観測したのだが、6等星であれば、視力によっては天王星を眺めることもできた可能性があるという。つまり、ハーシェルよりもルモニエよりも、もっと昔から人々は、天王星の存在に気付いていたのではないか、ということである。
 
 土星は世界の果てにある惑星だったわけだが、しかし、世界の果ての向こうには、必ずまた別な世界や存在がある。土星以遠のトランスサタニアンの存在は、机上の空論としてはすでに考えられており、実際、それとは知らずに観測もされていたわけだ。
 だからなのか、天王星には、なんと土星と正反対のような、しかしそれゆえ土星を補佐する役割がある。古典では、土星は山羊と水瓶に当てはめられていた。山羊が伝統を意味することに対し、水瓶は革新を意味する。そう、だから天王星が水瓶の支配星なんでしょ、みなさんは思うかもしれない。いや天王星が発見される前は、土星がその役割を担っていたんだよ。土星は裏返せば革新を意味する。って? これは、現在の占星術を学んでいる人にとっては、よく理解できない解釈かも知れないけれど、土星という伝統は革新なくしては存続できない。たとえば300年ぐらい続いている老舗というのが世の中にはある。しかしその世代を越えた存続は、小さな革新によって成し遂げられている。世代交代はもちろん、世の中の変化に順応しつつ、変化しながら維持されていく、という点において。もしもそれが行われないのだとしたら、やはりその伝統は崩壊してしまう。
 クロノスは一定の時を計ることしかできないが、クロノスが永遠に続くためには、ウラヌスの革新が必須であるということ。変革は、もともと土星の持つ役割の一部であった、ということ。だから天王星は、土星の働きを補うかのように、すんなりと水瓶の支配星におさまった。
 
 しかし、変革のその先にあるものは…。肉体を失ってもなお永遠、つまり変革を必要としないもの。天王星は、殻を脱ぎ捨てるかのごとき変革を意味するが、そのさらに外側にあるものは、まさに、形を持たない魂である。いや、外側というより、その内側にあるもの、といったらいいのか。つまり、すべての形を越えた内面的なものが、天王星の外側に想定されるというように考えられていた、ということだと思っていただいてもよい。そのための象徴を占星術師は求めていた、と言い換えてもよいと思う。「あったらいいな、そんな象徴」である。
 
 そして1846年、海王星が発見される。集団意識、スピリッチュアルな分野で結びついている社会を司るのが海王星である。となると、宗教も芸術も、バーチャルなものはすべて海王星の分担となる。木星は射手と魚にあてはめられており、射手の崇高なるものへの憧れや畏敬、魚の慈悲や救済や陶酔が、本来の木星が司っていたものだ。だから海王星は魚の支配星となる。
 ただし、海王星もすでにガリレオ・ガリレイやジェローム・ラランドによって観測されていた。天王星の発見後、さらにその外側に未知の惑星が存在すると考えられるようになっており、予想軌道まで算出されていたから。なお、その発見者は、現在では、アダムズとルヴェリエの2人ということになっている。
 海王星は同時に太陽という物質(肉体)に対するスピリッチュアリティなものを司るという役割も兼ねることになった。太陽をはじまりとして、海王星で終わる。海王星は外側であると同時に内側でもある。占星術の体系としては、まことにすっきりとまとまる。占術は世界観がきちんと完結されていないと、占術の世界にならない。そして海王星までを考えれば、私たちの世界についてを考察することはできるわけだ。もしも天宮図(ホロスコープ)が、心のありようを描く曼荼羅なら、海王星までで事足りる。
 
 そう、冥王星はいらない。それは、海王星の外側は、認識されない世界だからだ。認識されない感受点を設定することはできない、ということになる。
 「それまで認識されなかったものが認識されるようになり、そしていろいろな物事の認識が新たになる」ということは、たしかにこれまでも起こってきた。しかし、その言い方は、本当は正しくない。正確には「推測されていたけれど、それまで認識できなかったものを認識することができた時に、意識が変化する」のである。
 推測もされておらず、従って理解の想定外のものを認識することは、人には出来ないから。天王星だって海王星だって、予想はされていた。それを見つけただけだ。
 
 その一方で、だから「認識されないもの」の象徴は冥王星である、という言い方はあるだろう。認識されないものはそれは無尽蔵にある。そんなこと、あたりまえだ。が、認識されないものを扱うことはそもそもできない。それ自体、矛盾することだから、それをやろうとするとパラドックスの罠にはまってしまうのである。
 認識できないものを鍵にして運命を変えることなんて、できない。スピリッチュアリティな気付きが欲しいなら、それは天王星と海王星がもたらしてくれるだろうから。認識しようもないものを認識したいと思っても、それは限界を超えているので、どうしようもない。それは、見えないオーラを見るよりも難しいことなんだよ。
 
 冥王星は1930年にクライド・トンボーによって発見された。発見の経緯は、写真によって、である。望遠鏡で発見したのではない。冥王星は、その写真における発見以前に、誰かが眺めたことはおそらくなかっただろう。たとえ望遠鏡だとしても、観測された記録はない。海王星の外側に未知の天体があるということはわかってはいたが、冥王星とも思わずに誰かがその光を不思議な恒星だと思って眺めたこともなかった、ということだ。ここが天王星や海王星と異なるところ。天王星と海王星は、予測されており、想定内の発見だったので、その意味付けも無理なくできた。しかし冥王星は、存在を否定する動詞のようなものである。すべてを消し去るというのが冥王星について語られていることだ。しかしそれなら、海王星の霊性(スピリッチュアリティ)はどうなるのか? それすらも否定したら、占星術の世界は崩壊してしまうというのに。
 
 私もかつて占星術の解説書では、冥王星の役割を記載した。一般的にはこのように解釈されていますよ、ということ。しかし書きながら、冥王星の役割は、やはり認識できないものではないだろうか、というようにしか思えなかった。歴史的な出来事をマンデーンで読み解く場合も、海王星までを用いれば、解説はできる。
 とにかく、冥王星は太陽系外縁天体であり、準惑星「dwarf planet」になった。彗星だって太陽系の一員だけれど、個人の天宮図(ホロスコープ)には用いないのと同じ理由だ。以上が、私が冥王星を扱わない理由。
 
 そして重要なこと。
 太陽と冥王星の関係よりも、太陽と海王星の関係性のほうが、その人のスピリッチュアリティの在り方を示唆する。だから、冥王星ではなく、ぜひ、海王星をチェックしてください。オカルティストにとって大事な天体は、いうまでもなく天王星(既成概念の打破)と、海王星(陶酔と共感)です。トランスサタニアンとして用いるのは、天王星と海王星だけで事足りると私は思いますが、仮にそれでも冥王星を扱うという人たちにとっても、天王星と海王星のチェックは大切なことだと私には思えます。いちばん外側の天体をキーワードにして天宮図(ホロスコープ)を描き直す幾つかの手法もありますが、これについてもぜひ、海王星をキーワードにして読み解いてみてください。輪廻転生については、当然ですが海王星がキーになるはずですから。

占術研究家 秋月さやか

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