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占星解説

ありえない満月、ブルームーンはなぜ起こるのか

 「Blue moon ブルームーン」とは、ありえないことのたとえ。地上から眺めると、月は黄色に輝く天体であり、冴え渡れば銀色、蝕の時には赤くなる。けれども青い月が天空に懸ったためしはない。だから「青い月を眺めた」と言えば、それは幻を眺めたということと同義である。存在していないものを存在していると勘違いした、というぐらいのことを意味する。それが「Blue moon ブルームーン」である。
 
 しかし最近では「ブルームーン」という言葉は、1ヶ月間に満月が2回訪れた時の2回目の満月、と解釈されているようである。「ブルームーン」という言葉の響きは、たいへんにロマンチックな印象を与えるようで、人々は1か月に2回目の満月を心待ちにするかのような雰囲気さえある。それはそれで時代の素敵な流行語のようなものだろうから、私はそれに水を差す気はまったくない。私も、自分のサイトの月暦で、最近の一般的なブルームーンの話題については書いているからだ。
 
 が、本来、「ブルームーン」というのは「ありえない」ことを意味する言葉だった。それは心のどこかに留めおいていただきたいと思う。では、なぜ、「ありえないはずの2回目の満月」が、実際には訪れているのか、以下、それについて書こうと思う。

ブルームーンはなぜ起こるのか

 まず、1か月(Month)という言葉の語源は、月の満ち欠けからきている。新月が満月になり、そして次の新月の直前まで。その朔望周期は、29.5日(平均)である。だから1か月は、29日、もしくは30日となる。
 えっ?1か月って、30日だったり31日だったりするでしょう? たまに28日があるけれど、29日は4年に一度しかなかったよね? とみなさんは思うかも知れない。それは現代のグレゴリオ暦(もしくはユリウス暦などの太陽暦)でのお話。そう、昔の1か月は29日か30日。31日というのはありえなかった。28日もなかった。そして、1か月に2回満月が訪れることは、決してなかった。起こるわけがなかった。満月は1か月に1回しかないものである。
 
 
 1か月は1日についでわかりやすい時の単位である。日は、はじまりを日の出とした場合、太陽が再び東の空から昇ってくる次の日の出直前までを1日と考える。(注・日没から次の日没前までを1日とする文明もあったが、いずれにしろ、太陽が天空を移動するひと巡りの時の単位を日とする。) それでいうなら、1か月とは、新月から次の新月直前までの期間を意味することになる。
 夕暮れの西の空に細い姿をあらわした月が、だんだんと太くなり、丸くなり、再び欠け始め、細くなって、明け方に昇り始めた太陽の光に消えていく。そして、消えたとおもった月が、西の空に細い姿をあらわし、再生した時から、次の1か月がはじまる。
 新月から次の新月直前までが1か月。1か月のほぼ真ん中に満月がやってくる。となると、1か月に満月が2回起こることがあるだろうか? 答えは明白だ。あるわけがない。だから、2回目の満月は、ありえないことのたとえになったのである。
 
 しかし。現代の暦では、1か月に2回満月が訪れることがある。その場合、1回目の満月は1日か2日頃に。そして2回目の満月は、29日、30日とか31日、月末ぎりぎりに、である。月の朔望周期は平均29.5日だが、最短で29.27日、最長で29.83日である。だから1日の0時に満月だったとして、次の満月は最短でその29.27日後に訪れるので、29日が満月になる場合がある。ありえない、と書いたことがありえるのである。なぜ?その理由は、今、私たちが使っている暦が太陽暦だからだ。
 
 紀元前1万2000年頃のものと推定される獣の骨に、月の満ち欠けらしき印が刻まれているものが発見されており、紀元前1万年前にはすでに人々は1か月という時の単位を意識していたと考えられるのだが、その1か月とは、夜空の月の満ち欠けを眺めながら数える1か月である。太陰暦は、もっとも古い暦の形だと考えられている。
 
 古代の暦は太陰暦(もしくは太陰太陽暦)だった。バビロニア由来の太陰太陽暦は、1か月が月の朔望によって決められていた。だから、1か月は29日か30日かのいずれかの日数となる。太陰太陽暦は、ギリシャなどの文明に引き継がれていく。
 古代ローマは、その成立頃はかなり野蛮な国だったので!自国では暦を作ることができなかった。春分から30日ごとを1か月として区切って数えていたという、おおざっぱな暦を用いていたようであるが、だんだんと周辺国の文化を吸収し、おそらくヌマ暦の時代には、太陰暦の使用がなされるようになっていったと思われる。太陰暦は月の複雑な動きを追いかけなくてはならないので、その作成にはかなりの天文知識を必要とする。
 
 太陰暦の1か月はとにかく便利なもので、人々は夜空を見上げれば、日を数えることができたのである。しかし同時に太陰暦にはやっかいな部分もあった。それは、太陽の1年と、月の1か月の調整をとるのが困難であったということだ。
 人々は、季節に関連して星空の中を移動する(ように見える)太陽の周期を年とした。年は季節のひと巡りでもあるので、農作業には欠かせないものであった。が、年の中で朔望が起こるのは、12回、もしくは13回あった。
 太陽の1年は約365.24日。朔望月の平均日数は29.53日。12朔望月が巡っても354.36日、10.88日のずれがあり、3年たつと、その差は約33.3日になる。ローマの年初の基準は古くは春分であったが、その後、冬至となる。つまり、冬至の後の朔から新たな年の初月がはじまったわけだが、その次の年初までに13回の朔望月が入る年には、閏月が挿入され、1年は13カ月となった。
 太陽年の中に太陰月の閏月を置くための方法を置閏法と呼ぶが、置閏法を用いるには複雑な計算が必要であった。古代においては3年に一度の閏月を入れながら調整していたようであるが、その後、19年7閏法が用いられるようになる。これはギリシャの数学者メトン(Meton)が紀元前433年、ギリシャのアテナイで用いられていた太陰太陽暦(アッティカ暦)を改良するために考えた周期で、一般に「メトン周期」と呼ばれるものである。
 共和政のローマでは閏月の挿入が政治家や神官たちによって作為的に行われ、これが政治的な腐敗と絡まりあっていったようである。そのため、ユリウス・カエサルは複雑な太陰太陽暦ではなく、わかりやすい暦を望むようになった。そして、太陽暦であるエジプト暦を改良した暦を用いることを決断する。
 紀元前46年の冬至後の最初の新月が紀元前45年1月1日となったのだが、この紀元前45年から、太陽暦に移行する。その太陽暦がユリウス暦である。つまり、これ以降、暦と月の朔望が切り離されてしまう。
 ユリウス暦は1年約365.24日を12分割し、1か月は約30日〜31日となる。1か月という名称は月の満ち欠けが語源であったにもかかわらず、太陽暦の1か月は、朔望月よりも長くなってしまったということ。だから、1か月に2回、満月が訪れることも起こってしまうようになった、というわけである。
 太陰暦を太陽暦に切り替えることには、当然ながら、神官や政治家たちからの強い反対があったはず。太陽暦に切り替えられてからしばらくすると・・・なんと1ヶ月のうちに2回目の満月がやってきてしまうという、ありえなかった現象に人々は直面することになる。ありえないことがはじめて起こってしまった月を、人々はきっと顔面蒼白で眺めていたに違いなく。(ただし、この時、ブルームーンという名称がこの2回目の月に名づけられたというような記録は、ない。)
 そして、1か月に満月が2回訪れるようになってしまったという現象が起こる裏では、満月が1回も起こらない月も生じることになった。それは、28日にされてしまった2月である。たまに、2月には満月が1回も起こらない。満月のない1か月。なんだかこちらのほうが寂しいお話で、そのことを考えるたびに、私の心はちょっぴりブルーになってしまう。
 
 ただし、アストロロジャーたちにとって、1ヶ月間に2回の満月は、その起こる時期が異なる。太陽がひとつの星座宮を通過するには30日よりも長い時間がかかる。だから、星座宮の1度より前で満月が起こると、太陽がその星座宮を通過する前に、つまり28度とか29度ぐらいで、もう1回、満月が起こる。そのような現象は、たまにある。その星座宮終わりぎりぎりの2回目の満月のほうが、占星術的には希少価値のある現象なのだが、そのお話は、また別な機会にいたしましょう。
 ついてにいえば、ひとつの季節で3回起こる満月が4回生じる、その4回目の満月のうちの1回をブルームーンと読んだという説もある。これは、置閏法に関連したものである可能性があるが、ただし、どのような理由でいつ頃用いられていたものであるか、その記録が探せないので、私にとっては未確認情報である。季節の区切り方によって、4回起こったり起こらなかったり、異なってしまうものでもあるし。中国由来の太陰太陽暦の季節の区切り方は四立を基準としているが、しかし、置閏は四立を目安に設置しているわけではないので、これは中国由来の置閏法の話とは関連がないようである。

占術研究家 秋月さやか

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